サウジアラビアの建国の歴史

サウジアラビアは中東で最大の国土を持ち、世界有数の石油の産出国としても有名です。

日本にとっては原油輸入の3割を占める重要な国ですが、サウジアラビアの建国の歴史等詳しく知らない人が多いです。

みんな習わないサウジアラビアの建国の歴史を習得しサウジ通になれるよう簡単に説明します。

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サウジアラビア人の歴史

サウジアラビアの建国の歴史は1744年が始まりと言われていますが、厳密にこの地域の人の歴史は2万年前までさかのぼります。

7世紀にはイスラム教発祥の土地となりイスラム国のカリフの首都になりました。

メッカとメディナは7世紀からイスラム教にとって重要な巡礼地となっていましたがその地域はそれぞれの種族によって統治されていました。

オスマン帝国からヒジャーズ王国の時代

サウジアラビアの建国の歴史の前のアラビア半島はオスマン帝国がおさめている国でした。

世界史で習う場合に、アラビア半島は独立性が高かったためオスマン帝国の領として認識されていない場合もあります。

当時のアラブ人はオスマン帝国と戦うため1916年、第一次世界大戦でイギリスとフランスを味方につけアラビア半島を征服し建国されたのはヒジャーズ王国でした。

オスマン帝国滅亡後、ヒジャーズ王国はその代表者をカリフと名乗りアラブ民族に身分を越えた位を名乗っているとの反発を招き長続きしませんでした。

サウド家の登場

サウジアラビアの王族であるサウド家が建国の歴史に登場するのは1902年頃です。

中央アラビアのナジド州の支配者としてサウド家は台頭をあらわしてきました。

ヒジャーズ王国が建国された時、サウド家は現在のサウジアラビアの首都リヤドを支配していました。

1926年にヒジャーズ王国の中心的な存在であったハシーム家を滅ぼしたのです。

1932年にヒジャーズ王国があったアラビア半島全土を手に入れたサウド家はサウジアラビア王国を建国したのが建国の歴史です。

家系として王朝として伝統あるハシーム家

ハシーム家はイスラムの家系でありアッバース朝もこのハシーム家から出たほど伝統のある家系です。

また王朝としてはイスラム教の預言者ムハンマドの孫であり、カリフとファーティマの息子ハサンの末裔であるアラブの王朝でもあります。

1921年ファイサル1世によりイラクを建国したヒジャーズ王族と現在のヨルダンの国王はハシーム家なのです。

このように伝統のあるハシーム家はなぜ豪族であったサウド家にほろぼされてしまったのでしょうか?

サウジアラビアの建国の歴史上、当時サウド家の理念はワッハーブ派であり厳格なイスラム復古主義でした。

オスマン帝国がもたらした近代化を没落させ過去の厳格なイスラムに戻ることでサウジアラビア建国の歴史を作ったといえるのです。

まとめ

日本の建国の日は2月11日ですが実際の建国日は明確ではなく、日本神話を元に建国記念日が1966年に定められました。

サウジアラビアの建国の日は歴史上明確であり、1932年9月23日はサウジアラビアでは数少ない祝日です。

毎年9月になるとスーパーや雑貨店は緑一色となり、バッジ、国旗、リボンなどが売られ建国記念日には国民をあげてお祭りが催されるのです。

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