世界の国の中で国名に個人の名前がついている国はどれくらいあるかご存知でしょうか?
アメリカは、アメリカ大陸を発見したイタリア探検家アメリゴ氏のラテン語が由来ですし、カンボジアは建国伝説のお坊さんカンプー氏が由来です。
故人の名前や聖人の名前がついている国はありますが現在の国王の名前がついているサウジアラビア国名の歴史を紹介します。
アラビア半島の歴史
サウジアラビアがあるアラビア半島はアラビア海、ペルシャ湾などに囲まれた世界最大の半島です。
アジアとアフリカをつなぐ巨大な半島内は5か国に分かれており、サウジアラビアは半島内の約8割を占めています。
サウジアラビアがあるアラビア半島はアラブの島と呼ばれています。
由来はアラブがアラピア語を母国語とする人が住んでいることからきています。
また島と呼ばれているのは、アラビア半島が周りを海と砂漠に囲まれた地理であることからアラビア語でジャジーラアルアラブとなっているからなのです。
歴史上ではアラビア半島はローマ帝国に迫害されたユダヤ人が居住したり、オスマン帝国に征服されたりしています。
アラビア半島はアフリカとアジアの間にあることから民族の十字路等と呼ばれ、アジア、アフリカ、ヨーロッパ地域の多くの民族が交流したとされています。
その後アラビア半島に現在のサウジアラビアの国王であるサウード家が勢力を拡大してきたのは1824年頃のことです。
サウジアラビアの国名の由来となった盟約
サウジアラビアがある地域には様々な民族がいましたが、サウード家は1744年にはアラビア半島の中央部、現在の首都リヤドのあたりにすでに登場しています。
1744年にリヤド近郊のディルイーヤの支配者であったサウード家のムハンマドと宗教指導者のアブドゥルワッハーブが結んだ同盟が現在のサウジアラビア国の基礎となっています。
まさにこの盟約がサウジアラビア国名の由来となったのです。
それから約150年間、サウード家はアラビア半島を支配するためエジプト、オスマン帝国、ラシッド家と激しい攻防を繰り返しています。
1902年のリヤドの戦い後、リヤドを奪還したサウード家が1902年に第3次サウード王国を建国するに至りました。
建国後も、サウドラシッド戦争、クウェートナジュド戦争の戦いが続き、ナジュドスルタン国、ナジュドヒジャーズ王国と名前を変えます。
1932年アブドゥルアジーズイブンサウードがサウジアラビアを建国し初代国王になりサウード家のアラビアという名前のサウジアラビアになったのです。
これがサウジアラビアの国名の由来なのです。
まとめ
サウジアラビアは1932年建国されイブンサウードが初代国王となり、ワッハーブ主義保護者として絶大な地位を確立していました。
アラビア半島の有力なスデイリー部族であるため国内では強力な力を持っています。
1938年に発見されたダンマン油田を国営にしており現在も豊かな経済力も持っているのです。