ムスリム同胞団はエジプトで生まれたイスラム教スンニ派の宗教運動組織です。
ムスリム同胞団はもともと貧困層に対して宗教的活動を行っていましたが、のちに医療や教育などの社会奉仕活動を行い支持を広げてきました。
このような組織がなぜテロ組織指定されたのか、サウジアラビアに敵対視されているのか、ムスリム同胞団の実態を説明します。
目次
ムスリム同胞団が生まれた経緯
ムスリム同胞団とは1929年、復興主義の影響を受けていた小学校教師のハサンが設立しました。
当時エジプトはイギリスの事実上支配下にあり、イスラム文化を否定され弱体化していました。
イスラム主義者であったハサンはこの状態を憂い、西洋文化からの独立、イスラム改革思想により強固なイスラム文化の復興を掲げ設立されたのです。
国家権力を奪うことのない穏健派として慈善運動や宗教活動などをする小さい集団でした。
スエズ運河周辺からカイロに活動拠点を移った頃から大衆からの人気もあり急速に勢力を拡大していきました。
それに伴い教育、学生運動、政治活動など活動範囲も広くなり1940年代には、支持者が50万のエジプト最大の宗教組織になったのです。
ムスリム同胞団は反体制派へ
イギリスからの独立後、当時の王朝は、支持を拡大しているムスリム同胞団は脅威とされ非合法化されたことから反体制派へとなります。
設立者ハサンが暗殺された後、一時合法化されたものの組織の内紛、地下組織結成など一部がゲリラ活動に走るなどして再び非合法化されたのです。
1970年代、アラブでイスラム復興化が高まり、力をつけたムスリム同胞団は社会奉仕活動を再開させ政治活動も進めていくのです。
サウジアラビアが敵対視するのはなぜか?
イスラム原理主義的な思想は国際的テロ組織のアルカイダやイスラム国のもとになり思想のもとはムスリム同胞団につながっていきます。
もともとはムスリム同胞団の活動母体は、安価で受けられる医療制度や学校教育など貧困層向けの社会活動でした。
このような草の根活動は行政が不十分であるサウジアラビアやエジプトでは政府の役割の一部を担う重要な活動といえます。
ムスリム同胞団は武装闘争は否定しておらず、クーデターやテロ活動などが活発化する恐れもあります。
組織が巨大化するにつれ、サウジアラビア政権側から見ると政府転覆を狙う集団という脅威にもなり敵対視されテロ指定組織になったのです。
まとめ
サウジアラビアは一時ムスリム同胞団のメンバーを自国に教師や専門職として受け入れていました。
サウジアラビアとしては当時のエジプトに対抗する勢力を得るための手段であったのが、その後国内でウサマビンラティンを生み出すきっかけになってしまったのです。
ムスリム同胞団を保護する理由がなくなったサウジアラビアからテロ組織指定され現在に至るのです。