サウジアラビアとヨルダンは国境を接しており、アメリカとの関係性もそれぞれ強いことでも有名です。
しかし最近サウジアラビアとイスラエルとの関係が正常化してきたことによりサウジアラビアとヨルダンとの関係が少しずつ変わってきています。
どのように変化しているのか、これまでのプロセスも含めて説明します。
目次
ヨルダンに接するパレスチナの歴史
イスラエル人とパレスチナ人の土地争いである中東問題はヨルダンを語る上でははずせない問題です。
ヨルダンは歴史的に見るとシリアの一部でありパレスチナの国と呼ばれていました。
中東問題とはヨルダンに国境を接しているパレスチナ自治区の土地をイスラエル人であるユダヤ人とパレスチナ人であるアラブ人が争っている問題です。
本来であればユダヤ人とアラブ人だけの問題なのですが、その後ろには様々な国が介入しており問題を複雑化させているのです。
もともとパレスチナの土地に住んでいたユダヤ人が国が滅んだことにより迫害され世界中に散り散りになっていきました。
その後戻りパレスチナの土地にイスラエルを建国しようとし当時住んでいたアラブ人と争いになったことに端を発しています。
この中東戦争がユダヤ人とアラブ人だけでは収まらず国連が介入し1948年イスラエルが建国されユダヤ人が有利となりました。
パレスチナに住んでいたアラブ人はパレスチナ自治区に追いやられその後第2次中東戦争でヨルダンに占領されたりしているのです。
第2次中東戦争後1950年代後半は比較的落ち着いていた当地ですが、1964年パレスチナ解放機構が結成され緊張が高まってきました。
第3次中東戦争でヨルダンは多くの損害を被り、国内に多くの難民を抱えることになり、ヨルダン領内でゲリラが多発することもありました。
その後ヨルダンは外交関係を強化し周辺国との関係改善をはかり、1994年にはアラブ諸国内では最初にイスラエルと和平協定を結んだのです。
サウジアラビアとヨルダンの関係
サウジアラビアは2014年に起きた過激派ISILに対する攻撃でアメリカが開始した空爆作戦に参加しヨルダンもその1か月後に参加しています。
またサウジアラビアは2017年4月にはこれまでエジプトやヨルダン等の一部の国しか認めていなかったイスラエルの存在を国家として認める発言をしました。
この発言によりイランは裏切りだと批判し、同一宗教内での主導権争いが激化しそうな勢いになっています。
同年12月7日にはアメリカのトランプ大統領がエルサレムを首都としてアメリカ大使館を移転すると決断しました。
その際にもサウジアラビアとヨルダンは歩調を合わせアメリカの動きを非難しています。
その後のアラブ議員連盟の会議ではヨルダンがエルサレム聖地の管理者であるという文言にサウジアラビア議員が反対するということがありました。
サウジアラビアのヨルダンに対する姿勢がこれまでとは逆になったのです。
エルサレム首都移転のトランプ宣言に対し国連総会で反対した国に対しては援助を削減するという決議がなされました。
反対したヨルダンは経済基盤が弱いため窮地にたたされているのです。
まとめ
経済基盤が弱く、国内に多数の難民を抱えるヨルダンにとって国連からの援助金の削減は王国の命運を左右する大きな問題です。
サウジアラビアとイスラエルの関係正常化はアメリカとの関係、中東諸国同士の関係はそれぞれの国の立場が違い連帯できなくなっています。
これまでパレスチナ問題では連帯していたサウジアラビアとヨルダンの思わくは揃わず中東和平に影響を与えることにもなりかねない状態なのです。