アメリカとサウジアラビアの関係は歴史上起こった事実に基づいていつから始まったか諸説あります。
しかし多くはサウジアラビアで石油が発見されてから二国間の関係が深くなったと考えるべきでしょう。
アメリカとサウジアラビア連携の歴史について説明いたします。
1938年油田発見から開発まで
現在サウジアラビアを統治しているのはサウド家であり国名はサウド家のアラビアと名付けられており絶対君主国家です。
現在ではサウジアラビアは世界有数の産油国として有名ですが、その歴史は浅いのです。
油田が発見されたのは1938年、それまでは国土の8割が砂漠で何もなく貧しい国だったのです。
第二次世界大戦までの世界最大の産油国はアメリカであり、原油の採掘技術を持っていました。
アメリカはこの原油を元に戦闘機、戦艦などの動力にし戦争をしていたのです。
このためアメリカには優れた原油の採掘技術がありましたが、サウジアラビアにはなかったのです。
そして油田開発の採掘権は長い間アメリカが支配していたのです。
第二次世界大戦中頃のサウジアラビアとアメリカの歴史
第二次世界大戦頃にもアメリカはサウジアラビアとの結びつきをさらに強めるようにしていました。
具体的には、1945年に当時のアメリカ大統領ルーズベルトがヤルタ会談からの帰国途中にアブドゥルアジーズ国王と会談していました。
その後アメリカの軍艦上で行われた会談ではサウジアラビアのダーラン空軍基地の使用等を認める相互防衛援助協定を締結させたのです。
これによりアメリカとサウジアラビアの関係はアメリカは石油の流れを掌握し、サウジアラビアの国家安全保障政策をサポートするという形になったのです。
その後両国の関係はペルシャ湾油田、石油輸送の安定、サウジアラビアが投資している欧米の経済の安定などで同盟を結んでいます。
現在のアメリカとサウジアラビアの関係
第一次オイルショック前までアメリカ、フランスなどの石油メジャーが石油の市場を支配していました。
現在、サウジアラビアの原油権益は国有化されており同国の重要な国家歳入になっています。
その後の両国の関係の歴史は、石油から中東戦争やテロ問題に移っていきます。
特に2001年のアメリカ同時多発テロが起こった際には、サウジアラビアが関与していたとの可能性があり両国の関係について批判が高まりました。
当時のオバマ大統領はサウジアラビアを訪問し当時のサルマン国王と会談し協議しています。
アメリカがサウジアラビアの石油にもはや依存していないことが両国の関係に問題を生じさせているのです。
まとめ
トランプ政権が誕生してからアメリカとサウジアラビアの関係は変わってきています。
アメリカはイランの原油に対して各国に輸入停止を要請、サウジアラビアは今後数カ月原油を増産すると発言しています。
イランが締め出されている間にサウジアラビアは原油を増産しトランプ政権は原油価格高騰を防ぐという利害の一致に至り現在関係は良好なのです。