2016年はじめに報じられたサウジアラビアとイランの国交断絶のニュースは大きく取り上げられました。
サウジアラビアとイランは同じイスラム教ですが、宗派が違いこれまでも宗派対立してきた歴史があります。
イランとサウジアラビアの歴史上国交断絶に至ったのはなぜなのか背景を説明します。
イランとサウジアラビアの宗派対立の歴史
イランとサウジアラビアは中東有数の石油大国であり、天然資源に恵まれている国です。
原油と天然ガスそれぞれの天然資源を豊富に有しているためこの2国が国交断絶すると石油や天然資源の安定供給が懸念されるところです。
イランとサウジアラビアはともにイスラム教ですが宗派が違うため長い歴史上国交断絶や宗派対立があったように思われがちです。
しかし対立関係が激しくなったのは1979年に起こったイラン革命がきっかけなのです。
ではなぜ対立関係が激化したのでしょうか?
サウジアラビアとイランは英国によって統治されていました。
アラビア半島から英国が撤退した後、対ソ連対策のため親米国家であった2国は二柱政策が取られた歴史があります。
世界の歴史でも勉強するイラン革命によりイランにイスラム共和国が誕生し弾圧されているイスラム教徒解放を呼びかけました。
すべてのイスラム教徒の宗派に呼びかけられたにも関わらずなぜかイラン多数派のシーア派にのみ受け入れられ対立関係が深まったのです。
1988年からのイランイラク戦争ではサウジアラビアがイラクを支援したことによりさらに関係は悪くなったのです。
一時は持ち直していた両国の国交断絶の歴史
その後1989年にイランの差宇高指導者ホメイニ師が死去したことにより戦争からの立て直しを図るため政策を転換します。
またサウジアラビア側も1990年、イラクがクウェートに侵攻したことでイラク脅威を確認後イランとの対立を弱めることにしたのです。
その後1991年には国交断絶は回復しお互いの国の政府要人、大統領が国を訪問するということに至ったのです。
現在のサウジアラビアとイラン
90年代初めには関係改善が見られた両国がなぜ対立しているのでしょうか?
長引くシリア内戦でアサド政権側につくイランと反政府勢力側のサウジアラビアの関係が新たな対立構造をつくっているのです。
アサド政権側の勝利が近づくにつれイラク、イエメン、ヒズボラがイランと連携しサウジアラビアは軍事的脅威を感じています。
また先のサウジアラビアがカタールとの国交断絶に踏み切ったのはカタールがイランと接近しているという背景があります。
トランプ政権は核開発を続けるイランに対して核合意を批判しイラン産原油の輸入停止を各国に要求しています。
このようなことからさらにサウジアラビアとイランの対立は深まっているのです。
まとめ
世界有数の天然資源に恵まれ、同じイスラム教の国同士でなぜ対立しなければならないのか歴史を辿るとその時の世界情勢が見えてきます。
その時代の政権や統治者、地域や国際情勢により対立し国交断絶することになったのです。
強国をバックに強硬体勢を取り続けていると両国の関係は悪化の一途をたどることになるのです。